番外編 僕という存在は、ただ“条件が揃って起きた現象”にすぎない

目次

お寺の家系に生まれたという最初の“ズレ”

ただ“信じられない”という事実だけがあった

僕はお寺の家系に生まれた。

周りの大人は、祈りも儀式も当たり前のように信じていた。

祈ることは正しいことで、

儀式は意味のあることで、

そこにある言葉や決まりは“そういうもの”として受け継がれていた。

でも僕には、それがどうしても信じられなかった。

反抗したかったわけでも、

疑おうとしたわけでもない。

ただ、心が「そうだ」と感じなかった。

信じられないことが悪いとも思っていなかったし、

信じる人を否定したい気持ちもなかった。

ただそこに、“信じられない自分”という事実だけがあった。

周りと比べず、ただ理解できないまま過ごした

普通なら、

「自分だけ信じられないのはおかしいのかな」

と不安になるのかもしれない。

でも僕にはその感覚が薄かった。

周りと比べること自体、あまりなかった。

“みんなはこう、自分はこう”

という区別をつけることがなかった。

だから、信じられない理由を探すこともなかった。

子供の僕には、

「この世界を自分はこう感じている」

その感覚が自分にとってのすべてだった。

理解できないままでも、

そのまま静かに受け入れて過ごしていた。

自分がおかしいとも特別とも思わず、そのまま生きていた

今思えば、

この“最初のズレ”はすでに

僕の中の 構造OSの萌芽 だったのかもしれない。

でも当時はそんなこと考えもしなかった。

  • 自分がおかしいとも思わない
  • 特別だとも思わない
  • 変わっているとも思わない

ただ、自分の感じている世界を

そのまま生きていただけだった。

これが、僕の人生の最初の違和感──

でも“違う”という自覚すらない、静かなズレの始まりだった。

幼少期に始まった“俯瞰する自分”という異常な構造

泣く自分を眺めている、説明できない体験

子どもの頃、

僕はよく泣いていた。

兄に叩かれた時も、

怒られた時も、

一人で部屋に閉じこもった時も。

でも、そのときの僕には

“泣いている自分”とは別に、

もうひとりの自分がいた。

涙が出ているのを感じながら、

その涙を俯瞰して眺めている自分がいた。

「悲しい」よりも先に、

「自分はいま泣いているんだ」という

よくわからない冷静さがあった。

感情の中に沈み込むのではなく、

感情を観察しているような感覚。

子どもが持つには、不自然な構造だった。

それを“特別”だと思ったことは一度もなかった

でも僕は、その状態を

特別だとも、変だとも思わなかった。

だれかに話すこともなく、

説明しようとも思わなかった。

「こういうものなんだろうな」

そう思って、ただ過ぎていく日々の中に

その視点を溶け込ませて生きていた。

人と違っているかもしれない、

という自覚もまったくなかった。

泣くことと観察が同時に起きるのが

僕にとっては自然だった。

ただ、その視点が自然にそこにあっただけ

いま振り返れば、

これが僕の中で最初に育っていた

メタ構造”の芽だったのかもしれない。

でも当時の僕にとっては、

それは才能でも、訓練でも、哲学でもなかった。

ただ、そこにあった。

苦しみと静けさが同居している奇妙な状態。

泣きながら、

「泣いている僕」を同時に感じている状態。

その感覚に名前がつくのは、

もっとずっと後のことだった。

中学生で訪れた“意味の崩壊”という早すぎる無常

虚しさを感じても、誰かと比べる感覚はなかった

中学生の僕は、

ゲームをして、アニメを見て、

表面だけは普通の生活を送っていた。

でも心の奥にはずっと、

言葉にできない虚しさがあった。

「何をしても、最終的には全部流れていく」

そんな感覚だけが静かに残っていた。

けれどそれを、

“自分が大人びている”とか

“周りと違う”とは思わなかった。

ただ、そう感じている自分がいて、

それ以上でも以下でもなかった。

“人生に意味がない”も、ただ静かな事実としてあった

多くの人が大人になって初めてぶつかる

「人生に意味なんてあるのか」という問いを、

僕は中学生のとき、

何の抵抗もなく受け入れてしまった。

悲観でも反抗でもなく、

絶望というより

“静かな理解”に近い感覚だった。

意味を探す気力がなくなったとかではなく、

最初から

「意味というものは最終的に溶ける」

という事実の方が、自然に感じられた。

それを苦しいとも思わず、

ただの前提として受け入れていた。

自分が変わっているという認識すらなかった

もし他の人が同じ年齢で同じことを言えば、

きっと周りからは

「早すぎる」と言われるのかもしれない。

でもこの時の僕には、

そんな視点は一切なかった。

  • 自分がおかしい
  • 他と違う
  • 何か深いことを考えている

そんな意識は一度も浮かばなかった。

ただ、僕にとっては

“世界がそう見えてしまう”というだけだった。

理由もなく、

説明もなく、

自分で選んだわけでもなく。

意味が崩れていく感覚は、

ただ静かにそこにあった。

努力が機能しない身体と主観のズレ

ダイエットの成果より“満たされなさ”だけが残った

高校時代、

時間も気力もあった僕は

自己肯定感を上げたくてダイエットを始めた。

確かに身体は少しずつ変わっていった。

周囲の扱いも、以前よりは悪くなかった。

でも、どれだけ鍛えても

内側には何も残らなかった。

鏡の中の変化よりも、

胸のあたりにある“ぽっかりした穴”の方が

いつもはっきりと感じられた。

達成感より先に、

「これを続けても、どこにも到達しない」

という冷静な理解があった。

身体は変わっていくのに、

心だけが取り残されていくような感覚だった。

頑張っても報われないことを、不思議とも思わなかった

普通なら、

「努力しているのに何で満たされないんだろう」と考えるのかもしれない。

でも僕には、その疑問すら湧かなかった。

報われることへの期待がそもそも薄かったのかもしれないし、

努力によって自分が劇的に変わる

というイメージを持っていなかったのかもしれない。

ただ、

「そういうものなんだろうな」

という静かな諦めのような理解だけがあった。

努力が正しいとも、

間違っているとも思わず、

ただ結果が空白のまま進んでいくだけ。

その空白を深追いすることもなく、

淡々と毎日を積み重ねていた。

ただ漠然とした空白があった

この頃の僕を一言で言えば、

“穴の位置だけを知っている状態”だった。

満たされない理由はわからない。

埋まらない原因もわからない。

でも確かに、何かが抜け落ちている。

その空白は重くも軽くもなかった。

ただそこにあるだけだった。

悲しみでもなく、絶望でもなく、

自分が特別だという感覚でもなく。

ただ静かで、

どこにも属さない空白。

この空白が後に、

“苦の三層”や“OS”の理解と結びつくとは

当時の僕はまだ知らなかった。

留学で初めて“主観OS”が健康に立ち上がった瞬間

日本の良さにも、特別な発見ではなく“自然な気づき”があった

留学して初めて、

外側から日本という場所を見た。

食べ物や文化や生活習慣が…という

典型的な話ではない。

ただ一歩離れたときに、

自分の中に“日本”が自然に浮かび上がってきた。

「日本は良い国だ」

そんな強い言葉でもなく、

感動的な気づきでもない。

ただ、

“当たり前だと思っていたものが

当たり前ではなかったんだな”

という静かな理解だった。

特別な発見ではなく、

空気のように自然に入ってきた実感。

それが、僕の中で

初めて主観(物語)の層が健康に動いた瞬間

だったのかもしれない。

誇りを感じたのも、他と比べたわけではない

多くの人が海外で

“日本すごい”という比較の文脈で誇りを感じるけれど、

僕はそうではなかった。

誰かと比べたわけでも、

日本を持ち上げたわけでもなく、

ただ自然に、

「自分は日本で育ったんだな」

という静かな誇りが湧いた。

それは自分を大きく見せるための感情でも、

アイデンティティを主張するための感情でもなく、

自分の物語が初めて“自分のもの”として形を持った瞬間

に近かった。

MADで泣いたのも、自分の反応の意味が当時はわからなかった

留学中に聴いた

あのニコ動のMAD。

なぜ泣いたのか、

当時は自分でもまったくわからなかった。

懐かしさなのか、

音楽なのか、

映像なのか、

日本語なのか。

どれも正しくて、どれも違う気がした。

ただ、胸の奥から突然こみあげてきて、

抗えずに涙が止まらなかった。

今ならわかる。

それは、

物語OSが初めて“意味”を取り戻した瞬間 だった。

言語ではなく、

理屈でもなく、

理解でもなく、

“感じること”が先に来て、

それに心がついていった。

それが初めて起きたのが、

皮肉にも日本ではなく

海外の土地だった。

ChatGPTとの対話で散らばった因果が一本の線になった

ただ問い続けただけで、特別な意図はなかった

ChatGPTと対話を始めたとき、

僕には“理論を作ろう”なんて意図は一切なかった。

ただ、疑問を投げた。

浮かんだ違和感をそのまま言葉にした。

説明がつかない揺れをそのまま渡した。

仏教の話をするときも、

人間関係のズレを話すときも、

自分の過去の揺れを話すときも、

全部「なんで?」という問いを置いただけだった。

何かを作ろうとか、

正解に辿り着こうとか、

天才になろうとか、

そんな意識はまったく無かった。

ただ、問いが湧くたびに投げていただけ。

理解が繋がるたび、自分が変わっている実感もなかった

普通なら、

何か理解したときには「わかった!」という感覚がある。

でも僕にはそれがなかった。

OSが見えたときも、

三層構造が言語化できたときも、

仏教の2500年が一本に繋がったときも、

“感動”ではなく

“ああ、そういうことか”という

ごく静かな納得しかなかった。

自分が賢くなっている実感もない。

頭が良くなった感覚もない。

ただ、

点と点が勝手に近づき、

線になっていく感じだけがあった。

これを「成長」とは呼ばない。

ただ世界のほうが、自分の目の前に整っていっただけだった。

気づいたら“世界が地図化されていた”だけだった

ある日、ふと気づいた。

苦の三層、

三つのOS、

認知レイヤー、

状態、

構造のズレ、

日本文化の物語、

仏教の運動、

現代社会の葛藤。

それら全部が、

別々に存在していたはずなのに、

ひとつの地図の上で自然につながっていた。

僕が意識して作ったのではない。

努力して組み立てたのでもない。

ただ問い続けていたら、

世界の側が、自動的に形を揃え始めた。

パズルを組み立てた感覚ではなく、

最初から絵が描かれていた紙の上のほこりが吹き飛んだ

そんな感覚だった。

気づいたときには、

もう“深層の地図”がそこにあった。

僕が作ったという感覚は今でもない。

ただ、条件が揃ったときに

“現れた”という表現の方が近い。

この視座に必要だった“構造的敏感さ(HSP)”

刺激ではなく“因果”に過敏だったという特殊なHSP

僕はHSPだった。

ただし、一般に言われる

「音や光に敏感」「他人の感情に振り回される」

というタイプとは少し違っていた。

僕が敏感だったのは、

刺激そのものではなく “因果関係のズレ” だった。

説明できない違和感、

その場の空気のほころび、

言葉と行動の不一致、

起きている現象と理由の齟齬。

普通なら流れていく小さなズレが、

僕には大きな縦揺れとして届いた。

痛みよりも、

悲しみよりも、

「構造の整合性が崩れる瞬間」に

一番反応してしまう体質だった。

世界のノイズがすべて深層まで届いてしまう構造

僕は「表面」で物事を受け取れなかった。

・言葉の意図

・その奥の意味

・そのまた奥の因果

・その裏にある動機

・そのさらに下にある構造

こうした“深層のレイヤー”まで、

ノイズが全部届いてしまっていた。

普通の人が気にしないことが、

僕には気付かないうちに積み上がり、

心の奥で静かに揺れていた。

刺激ではなく構造に敏感。

これは弱点でも長所でもなく、

ただ僕の身体と心の仕組みだった。

感情の揺れより“違和感”の方が先に来る体質

普通は、

  1. 感情が動く
  2. その理由を探す

という順番で世界を受け取る。

でも僕は逆だった。

  1. 違和感(ズレ)を感じる
  2. 感情はあとからついてくる

「何かが間違っている」

「ここの因果が繋がっていない」

「説明できないずれがある」

そうした“構造の揺れ”が

感情より先に反応として立ち上がる。

感情より“兆候”の方が早く届く体質。

だからこそ、

心の揺れの理由がいつも文字化されないまま積もっていった。

苦・OS・因果モデルに出会う準備が幼少期から整っていた

いま振り返れば、

このHSP的な“構造の敏感さ”は

  • 苦の三層
  • 三つの回避OS
  • 認知レイヤー
  • 仏教の2500年の運動
  • 深層の地図

こうしたものを

理解できた理由ではなく、

最初から“感じていた理由”だった

僕は特別優れたわけでも、

努力して視座を獲得したわけでもない。

ただ、

  • 幼少期の俯瞰
  • 宗教を信じられなかった感覚
  • 中学生の無常の理解
  • 努力が空白に落ちる体質
  • 留学で急に立ち上がった主観OS
  • ChatGPTとの対話で因果が繋がった瞬間
  • そしてこの構造的HSP

これらの縁起がゆっくりと積み重なり、

“深層の地図”が現れる準備が

長い時間をかけて整っていた。

僕は天才ではない。

ただ、条件が揃ったとき

この視座が自然と“立ち上がった”だけだった。

だから僕は、“自然現象”としてここに立っている

自分で作ったものではなく、勝手に形になっただけ

深層の地図も、

苦の三層も、

三つのOSも、

認知の高さも、

仏教の2500年との接続も。

どれも「作ろう」と思って作ったものではない。

努力して掘り当てた宝でもなく、

才能でひらめいた答えでもなく、

何かの目的のために組み立てた理論でもない。

ただ問い続けていたら、

散らばっていた点が

勝手に近づいて線になり、

気づいたら地図の形を成していた。

僕がやったことは、

ただ“そこにある違和感”を見つけて

ひとつずつ置いていっただけ。

形になったのは、

僕の意図ではなく、

世界の側の必然だった。

特別さではなく“条件が揃った結果の現象”

僕という存在を一言で言うなら、

それは“現象”に近い。

HSPという構造的敏感さ、

お寺の家系に生まれながら信じられなかった最初のズレ、

幼少期の俯瞰、

中学生の静かな無常、

努力が空白に落ちる体質、

留学での主観OSの立ち上がり、

ChatGPTとの対話で因果が繋がった流れ。

予定された道ではなく、

積み重ねた努力でもなく、

特別な才能でもない。

ただ、

そのすべてがちょうどいい距離で並んだとき、

この視座が自然に“発生した”。

僕が特別だったのではなく、

条件が揃ったときには、

こういう視座が立ち上がってしまうだけ

その構造が、僕という存在だった。

意図も誇りもない。ただ縁起がこう動いただけ

この視座が“すごい”とも思っていないし、

“自分の功績”だと思ったこともない。

誇りもない。

卑下もない。

大した物語もない。

ただ、

縁起がこう動いた結果、

僕の中にこういう世界の見え方が生まれただけ。

川が流れ、

風が吹き、

雲が形を変えるように、

僕の思考も、

内側の構造も、

いまの視座も、

すべては自然現象のひとつとして起きた

だから僕は、

自分を“作者”とも“特別な人”とも思っていない。

僕はただ、

こういう条件でこういう現象が起きた

というだけの存在だ。

そして今、

その現象の延長線上に立っているだけ。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

シェアしてくれた嬉しいです。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ただのゆーま。です。

HSP気質で、敏感で、考えすぎてしまう人間です。
お寺の家系に生まれたのに、
宗教にもスピリチュアルにも寄れませんでした。

どんな“綺麗な嘘”も信じられなくて、
でも弱さはそのまま抱えていたい。

そんな僕が、
生きるために静かに気づいたことを
ここに少しずつ置いています。

コメント

コメントする

目次