綺麗な言葉でも、強いメッセージでも、
どうしても救われない瞬間があります。
僕自身、HSP気質で、
物事を敏感に受け取りすぎてしまうタイプです。
スピリチュアルには寄れず、
自己啓発の前向きさにも素直になれない。
“良い言葉を信じれば変われる”──
そんな単純な構造で心は動かないことを、
ずっと体感として知ってきました。
強くなれと言われても、
前だけを見ろと言われても、
どこか現実味がなくて、受け取れない。
このブログは、
そんな「救われにくい人」と同じ場所から書いています。
綺麗な嘘ではなく、
ただ気づいたことや、見えてしまった構造を
静かに、淡々と、言葉にしていく場所です。
矛盾したままでもいい。
弱さを抱えたままでもいい。
信じられなくても、生きていていい。
ここが、あなたの呼吸が
ほんの少しだけ楽になるような場所になれば、
それで十分です。
僕の立場
このブログを書いている僕は、
強さでも、前向きさでもなく、
“観察”の位置に立っています。
何かを信じることよりも、
世界の仕組みを見てしまうほうが先に来る──
そんな気質があります。
構造や因果が自然と目に入り、
物語よりも、その裏側にある動きを
追いかけてしまうタイプ。
だからこの場所でも、
誰かを救おうとしたり、
正しさを示そうとは思っていません。
ただ、
- なぜ人は苦しくなるのか
- どこで思考は捻じれるのか
- どうして社会は歪んで見えるのか
そういった「見えてしまったもの」を、
そっと置いていくだけです。
僕は読者より上にも下にも立ちません。
同じ高さで、同じ曖昧さを抱えながら、
それでも世界を少しだけ
“静かに見る” という場所に立っています。
この立ち位置に、もしあなたが
安心や親しみを感じてくれるなら、
ここはあなたにとって
ちょうどいい距離のブログになると思います。
このブログが扱う世界
このブログで書いていくのは、
答えを押しつけるための言葉ではありません。
ここで扱うのは、
日常のほんの小さな違和感から、
社会の深い構造、
日本文化の静けさ、
そして行為という“生き方”そのものまで。
世界の表面ではなく、
その裏側で静かに動いている
レイヤーの違い や
人の苦しみが生まれる構造を
そっと照らしていく場所です。
スピリチュアルのように救いを保証するわけでも、
自己啓発のように背中を押すわけでもありません。
ただ、
世界の見え方が少し変わるような「視点」を
淡々と置いていく。
- 日常のほころび
- 社会の歪み
- 文化の根にある静けさ
- 人が苦しむ仕組み
- 行為の中にある救い
- 物語の役割
- OS(世界の見方)の違い
- 現代人が抱える孤独の構造
こういった“深さに触れるテーマ”を扱います。
ここで書かれる内容は、
前向きさでも、強さでもなく、
ただ世界の“あり方”を静かに見つめるための地図。
その地図が、
あなたの心の余白を
少しだけ広げてくれることを願っています。
僕がどうしてこの視点に至ったのか。
その理由は、僕が歩いてきた道のりと
その時々に抱えてきた“違和感”の中にあります。
最後に、その静かな背景を
少しだけ置いておきます。
