なぜ4つなのか
人は、気づかないうちに何かに飲み込まれる。
快楽だったり、虚無だったり、物語だったり。
その揺れを否定せずに、
でも回収もされずに立てないか。
そのために、このブログでは
人間を3つの土台(身体、関係、認知)と、
それに干渉する行動として捉えている。

身体
まずは身体。
人は頭で考えているようで、
実際には身体の状態に強く左右されている。
睡眠が足りない日、
光を浴びていない日、
呼吸が浅い日。
そんな日は、世界が少し歪んで見える。
悲観的になりやすく、
攻撃的になりやすく、
意味を見失いやすい。
身体は単なる器ではない。
思考や感情の“基調”をつくる土台。
だからこのブログは、
まず身体から扱う。
整えるとは、強くなることではない。
削れにくい状態をつくること。
→身体
関係
次に関係。
人は、一人で生きているわけではない。
安心も不安も、怒りも孤独も、
多くは関係の中で揺れる。
誰かの一言で、
状態は簡単に下がる。
期待や比較、承認や拒絶。
それらは性格の問題というより、
関係の中で生まれる刺激でもある。
人間は、共同体の中で生き延びてきた。
だから関係が崩れると、
身体の基調状態も下がる。
関係とは、
自分の状態を揺らす環境でもある。
他者は敵でも味方でもなく、
影響を与え合う存在。
このブログでは、
摩擦を善悪だけで処理しない。
揺れを揺れとして扱う。
→関係
④ 認知
そして認知。
人は、出来事そのものではなく、
それをどう捉えるかで揺れる。
同じ言葉でも、
前提が違えば意味は変わる。
「嫌われた」と思うか、
「すれ違った」と思うか。
事実は一つでも、
世界の見え方は無数にある。
前提は、無意識のうちに固定される。
そして固定された前提は、
物語になる。
物語は必要だ。
意味を与え、方向をつくる。
でも、それを絶対にすると、
更新できなくなる。
認知とは、
世界をどう解釈するかという構造。
このブログでは、
前提を前提として扱う。
信じることも、疑うことも、
どちらも選べる余地を残す。
→認知
行動
最後に、行動。
人は日々行動している。
話すことも、黙ることも、
続けることも、やめることも。
その行動は、
身体・関係・認知の状態によって変動している。
眠れていない日の決断と、
整っている日の決断は違う。
孤立しているときの選択と、
安心しているときの選択も違う。
悲観的な前提のもとでの行動と、
余白のある前提のもとでの行動も違う。
行動は、
何もないところから生まれるわけではない。
その瞬間の自分の状態から立ち上がる。
後から振り返れば、
それは因果の積み重ねとして説明できるかもしれない。
でも、その時点の自分にとっては、
それが今取りうる行動。
行動は、
状態の結果であり、
同時に次の状態の始まりでもある。
このブログでは、
完璧な状態を目指すのではなく、
そのときの自分から立ち上がる行動を、
観察し、扱い、引き受ける。
操作ではなく、
逃避でもなく、
構造の中で動くこと。
それが、
揺れの中で立つということだと思っている。
→行動
