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ただのゆーま。
2002年生まれ。

快楽や虚無、物語に飲み込まれずに立てないかを考えながら書いています。

答えを提示するためではなく、
揺れたまま選ぶための記録として。

ブログの4つの柱

なぜ4つなのか

人は、気づかないうちに何かに飲み込まれる。

快楽だったり、虚無だったり、物語だったり。

その揺れを否定せずに、

でも回収もされずに立てないか。

そのために、このブログでは

人間を3つの土台(身体、関係、認知)と、

それに干渉する行動として捉えている。


身体

まずは身体。

人は頭で考えているようで、

実際には身体の状態に強く左右されている。

睡眠が足りない日、

光を浴びていない日、

呼吸が浅い日。

そんな日は、世界が少し歪んで見える。

悲観的になりやすく、

攻撃的になりやすく、

意味を見失いやすい。

身体は単なる器ではない。

思考や感情の“基調”をつくる土台。

だからこのブログは、

まず身体から扱う。

整えるとは、強くなることではない。

削れにくい状態をつくること。

身体


関係

次に関係。

人は、一人で生きているわけではない。

安心も不安も、怒りも孤独も、

多くは関係の中で揺れる。

誰かの一言で、

状態は簡単に下がる。

期待や比較、承認や拒絶。

それらは性格の問題というより、

関係の中で生まれる刺激でもある。

人間は、共同体の中で生き延びてきた。

だから関係が崩れると、

身体の基調状態も下がる。

関係とは、

自分の状態を揺らす環境でもある。

他者は敵でも味方でもなく、

影響を与え合う存在。

このブログでは、

摩擦を善悪だけで処理しない。

揺れを揺れとして扱う。

関係


④ 認知

そして認知。

人は、出来事そのものではなく、

それをどう捉えるかで揺れる。

同じ言葉でも、

前提が違えば意味は変わる。

「嫌われた」と思うか、

「すれ違った」と思うか。

事実は一つでも、

世界の見え方は無数にある。

前提は、無意識のうちに固定される。

そして固定された前提は、

物語になる。

物語は必要だ。

意味を与え、方向をつくる。

でも、それを絶対にすると、

更新できなくなる。

認知とは、

世界をどう解釈するかという構造。

このブログでは、

前提を前提として扱う。

信じることも、疑うことも、

どちらも選べる余地を残す。

認知


行動

最後に、行動。

人は日々行動している。

話すことも、黙ることも、

続けることも、やめることも。

その行動は、

身体・関係・認知の状態によって変動している。

眠れていない日の決断と、

整っている日の決断は違う。

孤立しているときの選択と、

安心しているときの選択も違う。

悲観的な前提のもとでの行動と、

余白のある前提のもとでの行動も違う。

行動は、

何もないところから生まれるわけではない。

その瞬間の自分の状態から立ち上がる。

後から振り返れば、

それは因果の積み重ねとして説明できるかもしれない。

でも、その時点の自分にとっては、

それが今取りうる行動。

行動は、

状態の結果であり、

同時に次の状態の始まりでもある。

このブログでは、

完璧な状態を目指すのではなく、

そのときの自分から立ち上がる行動を、

観察し、扱い、引き受ける。

操作ではなく、

逃避でもなく、

構造の中で動くこと。

それが、

揺れの中で立つということだと思っている。

行動