僕の人生。静かに深層へ降りてきた話

1. 根っこの違和感(幼少期)

お寺の家系の次男として生まれました。

仏教が最も近くにあるのに、

なぜか“信じる”という感覚だけは持てなかった。

必要としている人がいて、

役割も理解しているのに、

どうしても自分の中に収まらない。

その違和感が、僕の問いの出発点でした。

小学生の頃に読んだ「脳死」の本で、

“自分が消える”という感覚的な恐怖を知りました。

世界の裏側を、少し早く知りすぎた気がします。

2. 逃げることで守っていた時期(中学〜高校)

中学・高校では勉強から逃げ、

アニメやゲームに救われていました。

その楽しさの奥に

「じゃあ僕はどう生きればいい?」という問いだけが

静かに積もっていきました。

努力だけで変われない自分、

前向きにも強くもなりきれない自分。

その“救われにくさ”はずっと続いていました。

3. 世界が広がったのに、問いは消えなかった(大学〜留学)

大学でも答えは見つからず、

遺伝や運の残酷さを知り、

どう生きればいいか分からなくなりました。

一年間の留学では、

ふと日本の動画を見て涙が出て、

自分でも理由が分からなかった。

「なぜ、この場面で僕は泣いたのか?」

この問いが、文化の深層や価値観の構造へと

自然に僕を向かわせました。

4. ひとつに繋がり始めた時期(帰国後〜今)

帰国後、何となく始めたブログと

ChatGPTとの対話が、点だった問いを線にしていきました。

HSPの気質なのに、スピリチュアルには寄れず。

自己啓発の“綺麗な嘘”にも寄れず。

それでも感情だけではなく、

世界の構造を見ようとしてしまう。

そんな“救われにくい性質”が、

逆に「見えてしまう視界」を育てていたと

今なら分かります。

このブログは、

強くなるためでも、誰かを導くためでもなく、

ただ“静かに見えてしまったもの”を

そっと置いていくだけの場所です。

あなたの呼吸が少しだけ楽になるなら、

それで十分です。