物語は浅いと思っていた。
世界は因果でできている。
人は構造の中で生きている。
そんなことを考えるようになってから、
僕の世界の見え方はかなり冷たいものになっていた。
でもある日、
僕はニコニコ動画で「ニコニコ動画流星群」を見た。
そして、泣いた。
ゲームボーイアドバンスで
ポケモンルビーをプレイしたときも、
僕は確かに感動した。
それは子供の頃の思い出ではない。
大人になってから、
改めてプレイしたときの話だ。
そしてあるとき、
たまたま「和」に触れたくなって
YouTubeで奥美濃の動画を見た。
山。
川。
静かな集落。
それを見て、
僕は美しいと思った。
そのとき、
僕はあることに気づいた。
僕が今ここにいるのは、
物語を信じた人たちの上だからだ。
国家。
文化。
社会。
それらはすべて、
人間が作った物語なのかもしれない。
例えば日本。
和。
日本人は控えめ。
働きすぎ。
そういう言葉もすべて
物語なのかもしれない。
でも、
僕はそれが好きだ。
僕はずっと
アニメが好きだと思っていた。
でも本当は、
戦後の日本の感情やカオスを
物語に閉じ込めた
アニメという文化
が好きだったのかもしれない。
それに気づいてから、
僕は少し気軽にアニメを見れなくなった。
でも、それでもやっぱり
大好きだ。
そしてもう一つ、
僕はあることに気づいた。
今ここにいる僕もまた、
因果の上にいるということだ。
宇宙が生まれ、
地球ができ、
生命が生まれ、
人が生まれた。
その長い因果の流れの中で、
快楽に溺れたり、
物語を作ったり、
社会の構造を作ったり、
そんな人たちがいた。
そのすべての上に、
僕はいる。
よく、過去を否定する人がいる。
戦争なんてなければよかった。
それは、
僕も心からそう思う。
でも、もし
これまでの歴史が違っていたら、
僕は存在していなかったかもしれない。
もし父と母が出会わなければ。
もしあのとき、
あの細胞が結合しなければ。
さらに遡れば、
宇宙が生まれなければ。
僕はここにいなかった。
そう考えると、
僕が生まれるまでに至った
すべての出来事は、
僕にとって
意味のあるものだったのかもしれない。
だってそのすべてが、
今ここで呼吸して、
快楽に溺れて、
物語に支配されて、
因果に囚われて、
構造で冷めて、
それでも
揺れながら生きている僕
を作っているのだから。



コメント
コメント一覧 (1件)
[…] あわせて読みたい 物語を受け入れ、因果に感謝した頃 | 僕の軌跡⑫ 物語は浅いと思っていた。 世界は因果でできている。 人は構造の中で生きている。 そんなことを考えるように […]