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生きるって本来単純なのに、現代では“目的や理由”が求められる

目次

動物に必要なのは酸素/栄養/休養

人間も動物である以上、最低限必要なものは3つしかない。

体を動かす燃料としての酸素。
身体を構築し維持するための栄養。
活動で失われた状態を回復する休養。

この3つが揃えば、生物としての人間は生きていけるはずである。

それなのに、人はなぜ「幸せ」や「成功」を求めるのだろうか。

それ以上は物語

結論からいえば、「幸せ」や「成功」という概念は生存の必須条件ではない。

それらは後から付与された“物語によるラベル”である。

人類は頭蓋が大きくなる過程で、個体での生存が難しくなり、

集団で生きる方向へ移行した。

集団化が進むにつれて、協調や役割分担、敵味方の識別といった

より複雑な処理が必要になった。

その結果、人間は次のような認知を獲得することになる。

  • 心の理論(他者を推測する)
  • 未来予測(時間を扱う)
  • 比較(位置づける)
  • 評価(価値を与える)

さらに、共同体を維持するためには

目に見えない概念を共有する仕組みが必要になり、

そこで「物語」という装置が生まれた。

物語によって、

  • 脅威の共有
  • 役割の共有
  • 富の共有
  • 価値の共有
  • 理想の共有

が可能になった。

このとき、物語は2つの指標を生み出した。

外側に同期するための指標=「成功」

内側を安定させるための指標=「幸せ」

つまり、人が「幸せ」や「成功」を求めるのは

意図や目的があったからではなく、

“共同体に適応した個体のみが残った結果として観測される挙動”なのである。

現代社会は休むのにすら理由を求める

今の人間は、共同体に適応しすぎているのかもしれない。

「成功」や「幸せ」とは何かを考えることはあっても、それらが成立するための条件について考えることは少ない。

なぜなら成立条件を疑うことは、共同体を成立させている“見えない前提”を破壊することに繋がるからだ。

逆説的にいえば、私たちは長い時間をかけて共同体に適応してきたため、その前提を疑うこと自体が難しくなっている。

確かに「成功」や「幸せ」という概念は、人間が人間らしく生きるための足場として働いてきた。

しかしその形質は、現代社会において人間を縛るものになっている可能性がある。

ここで「休み」を例に考えてみる。

本来、人間は好きなときに休み、好きなときに活動して良い生物である。休養は生命維持に必要な現象であり、理由を必要としない。

しかし現代において休むという行為は、しばしば正当化を要求される。

風邪であれば休む理由として承認されるが、風邪でなくても休みたい理由は存在しうる。

それでも会社という共同体においては、“休むこと”に意味と理由が求められる。

注目すべきなのは、休養そのものではなく、休養に付随させられた“意味の構造”である。

酸素以外が労働の対価になった現代

酸素以外が労働の対価になった現代

資本主義はありとあらゆるものを価値にする。

価値が生まれた瞬間に、その価値を手に入れるための対価が必要になる。

それはすなわち労働である。

今の世の中では、酸素以外すべてのものに価値が生まれたと言っても過言ではない。

栄養を摂るにもお金が必要だ。

もはや、健康をお金で買う時代になっている。

体に悪いジャンクフードが安価で、健康だという物語が付与されているオーガニック食品は高級だ。

お腹が空いたら獲物を狩るという直接的な方法から、

お腹が空いたらお金を稼ぎ、それを食べ物に変えるという間接的な方法へと変わった。

その結果、お金を稼ぐことが、あらゆるものを得るための必須条件となってしまった。

その環境が、「勝者と敗者」という物語を作り上げた。

物語のための人生と呪い

もともと物語は共同体として生きるための装置だったが、

共同体に適応しすぎた我々にとって、物語は呪いになることがある。

その最たる例が、前述した「勝者と敗者」という物語だ。

お金を稼げる人は成功者であり幸せであり、

お金を稼げない人は敗北者であり不幸である。

そんなはずはないのに、頭の中でこの物語が暴走する。

この物語の一番の問題点は、「運」の要素が強く、再現性がないことにある。

努力すれば100%報われる世界であれば、この物語は美しいものだったかもしれない。

しかし現実はそうではない。

努力しても、タイミングが悪ければ日の目を見ることはない。

不確実性があるにもかかわらず、物語は「勝者」になることを要求する。

そしていつまでも「勝者」になれない自分を責め続けてしまう。

逆に、物語の通り「勝者」になれた人は、その先の虚無に悩まされる。

「物語」は所詮物語

「物語」は所詮物語

ここまで読むと、人間のどうしようもなさに

少し絶望してしまうかもしれない。

でも、結局のところ、物語は物語だ。

人間に本当に必要なのは酸素と栄養と休養で、

それ以上のものは、人が生き延びる過程で手に入れた”形質”にすぎない。

「恋愛」で一喜一憂することも、

「成功」を追いかけることも、

「幸せ」に悩むことも、

それらは全部、尊くて必要なものだ。

ただ、自分を苦しめる理由にする必要はない。

世界が理不尽だからこそ、

「これは物語だ」と切り捨てる余白が必要なのかもしれない。

人間らしく成功を目指しながらも、

理不尽なことが起きたら

所詮「物語」だと言えてしまう人生。

それが案外、幸せの入口なのかもしれない。

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