何者か
なんの肩書きもない、現代の日本で生きている20代前半の男です。
特別な何かがあるわけでもなく、笑ったり泣いたりしながら、どうすれば幸せなのかを考えて生きています。
少しだけ、他の人より物事を複雑に考えてしまう。
気にしなければ楽なことも、つい気にしてしまう。
それを、生きづらさにしたくないと思っています。
だから、起きていることを観て、少しずつ分解していきたい。
なぜ書いているのか
世界を、できるだけ正確に捉えたいと思っています。
直視すると歪に見えることも多いけど、それでもそのまま向き合っていたい。
人は何のために生きるのか。
意味を見出しにくくなったこの世界で、どう生きればいいのか。
その答えを出すためというより、
自分なりに考え続けるために、このブログを書いています。
誰も言語化してくれない内側を、できるだけそのまま言葉にしてみる。
浅く切り取った方が楽なこともあるけど、
浅くないと分かっている自分にとっては、それがズレになる。
だから、できるだけ誤魔化さずに書いていきたいと思っています。
このブログについて
このブログでは、
「ズレに対してどう生きるか」をテーマにしています。
ズレとは、
科学でいう予測誤差、仏教でいう苦に近いものです。
人は、予測と現実の間にあるズレの中で生きています。
そのズレは、ときに人を動かす力になる。
理想に近づこうとする原動力になることもある。
一方で、そのズレが大きくなりすぎると、
人を苦しめるものにもなる。
例えば、お金持ちになりたいと思ったとき。
お金持ちではない現実と、
お金持ちになっているというイメージの間にズレが生まれる。
そのズレがあるから動ける。
でも、現実が変わらないままだと、そのズレはそのまま苦しさになる。
このブログでは、
そのズレを無くすのではなく、
ズレを前提にしながら、どう扱い、どう生きるかを考えていきます。
簡単にいうと、現代社会で壊れずに生きる方法を探しています。
ズレのある世界で、ズレを観て、どう扱うかを考えるブログ。
僕のスタンス
僕は、絶対的な思想や答えを発信するつもりはありません。
答えなんかないと思っているからです。
前提が変われば、見え方はいくらでも反転する。
オセロのように、状況によって意味がひっくり返る世界で、ひとつの答えを持ち続けることはできない。
もし絶対的なものを信じられていたら、こんなブログは書いていません。
絶対的な言葉は分かりやすい。
でも、その分どこか雑に感じてしまう。
そういう違和感がある人に、見てもらえたらいいなと思っています。
責任は持つつもりです。
ただ、言葉を固定するつもりもありません。
人の考えは流動的で、そのときの状態や環境によっていくらでも変わる。
ここに書いていることも、ずっと同じままではないと思います。
このブログで扱う前提は、少し冷たく感じるかもしれません。
それは、意味を一度剥がして世界を見ようとしているからです。
読んでいて違和感が出たり、受け入れられないと感じたら、無理に読まなくて大丈夫です。
そっと閉じてもらえれば、それでいいと思っています。
特定の宗教や思想、文化に対して偏見はありません。
ただ、このブログの態度は、それらに対してフラットであることが多いと思います。
好きなもの、嫌いなもの、信じているもの、考え方、できること、できないこと。
それは人によって違うし、
そこに優劣や善悪をつけることは、僕にはできません。
それをした途端、生きることそのものを否定してしまう気がするからです。
ブログの前提
絶対的なものを作らないとは言っても、
ブログとして書く以上、ひとつだけ前提を置いています。
それは、
世界は法則と因果の積み重ねでできている、という見方です。
これが絶対に正しいとは思っていません。
ただ、今の自分にとっては、一番しっくりくる前提です。
ここでいう法則は、いわゆる物理法則だけのことではありません。
僕は昔から、
なぜマーケティングが存在するのか、なぜ数学が存在するのかを疑問に思っていました。
数学は、僕にとってどこか歪に見えます。
でも同時に、世界を記述するためのコードのようにも見える。
そしてマーケティングが成立しているのは、
人がある程度、共通したパターンや傾向に従って動いているからだと思っています。
もし世界が“ある程度記述できるもの”だとしたら、
その記述を可能にしているルールこそが、僕の言う法則です。
もしそのルールを作った存在がいるのだとしたら、
それを「神」と呼ぶのかもしれない、と考えています。
これは、アルベルト・アインシュタインが語っていた「神」に近いものかもしれません。
人格を持った存在としての神ではなく、
世界の中にある秩序や法則そのものを指すような意味での神です。
補足
最後まで、読んでくれてありがとうございます。
それっぽいことを言っているように聞こえるかもしれませんが、
結局は、
「この世界で、自分として今生きているのだから、少しでも幸せに生きられたらいいよね」
それだけです。
