【日本最強】海外に無関心だった僕が、1年間の留学で気づいたこと5選

この記事では、僕が1年間の留学で気づいた5つのことをまとめています。

目次

結論:日本最強… けど、行かなきゃ気付かなかった!!

結論から言うと——

日本、最強でした。

もちろん、海外に憧れて留学する人の中には

「海外サイコー!」「日本息苦しい…」って感じる人もいると思います。

でも僕は、正直まったく逆でした。

そもそもハリーポッターすら見たことがないほど、海外に興味がなかったし、

英語のテストではいつも赤点ギリギリ。

そんな僕が、オーストラリアに1年間留学して気づいたことを

今回はまとめてみました。

行ってみて本当に良かった。

「海外に行くと価値観が変わる」とよく言われますが、

僕の場合は“日本の見方”が変わりました。

1.日本のご飯、マジでうますぎ!

定番ですが、まず最初に挙げさせてもらうのは、日本での食事のレベルの高さです。

これは「日本料理」が海外の食事より優れているという意味ではなく、

日本で食べるイタリア料理やフランス料理なども含みます。

もちろん、日本で食べる料理は日本人の好みにアレンジされていたり、

単に“食べ慣れている”という理由もあるかもしれません。

それでも、日本のご飯のレベルの高さには本当に驚きました。

僕が留学していたオーストラリアでも、美味しいレストランはあります。

でも、そのぶんハズレの店も多い

料理の質が低いだけでなく、店員の態度が最悪なこともありました。

その点、日本のご飯屋さんは、基本どこに行っても安定して美味しい気がします。

サイゼリヤなどのファミレス、居酒屋、どこでも最高レベルの接客で美味しいご飯をいただけます。

特に印象に残っているのは、コンビニのサンドイッチ

語学学校の隣のコンビニでは、パサパサのパンにベーコン1枚とレタスで800円。

それを食べながら、毎日「日本のフワフワのたまごサンドが食べたい」と思っていました。

留学に行ったおかげで、当たり前だと思っていた日本の食事に感謝できるようになりました。

「いただきます」「ごちそうさま」って、心の底から思えるようになったのはすごく良かったです。

2.外国人も美男美女ばっかじゃなかった…

「何言ってんの?」

「当たり前じゃん!」

って思うかもしれませんが、僕は本気で「外国人はみんな美男美女なんだろうな」って思ってました。

でも実際に行ってみると、全然そんなことなくて衝撃を受けました。

美男美女もいましたが、太ってる人や、肌が荒れている人、

ちょっと変なファッションの人もいて、全然日本と変わりませんでした。

一つ違うとしたら、それは「自信」です。

彼らの多くは、自分の見た目を気にせず堂々と生きていました。

笑うときはちゃんと笑うし、隠すこともしない。

人の目を気にせずに、自分として存在していました。

それが羨ましくもあり、正直、悔しくもありました。

僕は元々コンプレックスの塊で、

いつも「自分に足りないもの」を探しては落ち込んでいました。

そんな自分を少しでも変えたくて、

筋トレをしたり、スキンケアを始めたり、

本当に少しずつ、自分を磨いてきたつもりでした。

でも、彼らを見たときに、

その少しの努力すら否定された気がしました。

──けど、そこで気づいたんです。

僕はずっと、自分を“直すこと”ばかり考えていて、

受け入れること”をしていなかった。

留学してからは、少しずつだけど、

自分に対してネガティブな言葉ではなく、

ポジティブな言葉をかけられるようになった気がします。

これが自分なんだから、まあいいか

そう思えるようになっただけで、

少しだけ、生きやすくなった気がしました。

3.トイレ、どうしてそんな汚いの!?

海外に行ってまず驚いたのは、トイレの汚さでした。

便座が濡れていたり、紙が切れていたり、

ときには水が流れないこともあって、正直ショックでした。

一番最初に思ったのは、

**「なんで綺麗に使わないんだろう?」**ということ。

誰かが次に使うことを、あまり気にしていないように感じました。

日本では、トイレを綺麗に使うのが当たり前です。

便座を拭いたり、水滴を残さないようにしたり、

紙を使いすぎないようにしたり。

それは誰かに言われたからではなく、

自然と身についている“次の人への配慮”だと思います。

ウォシュレットや便座の暖かさも、その延長にある気がします。

ただ清潔に保つためだけじゃなく、

使う人が少しでも気持ちよく過ごせるように」という考え方。

つまり、日本のトイレの快適さは、技術よりも“思いやり”から生まれている。

海外では、トイレは“自分が使う空間”という意識が強い。

汚れていれば清掃員が掃除をする。

だから、「次に使う人」を意識する文化がそもそもあまりない。

そこで感じたのは、

日本人の思いやりと、外国人の思いやりは向いている方向が違うということです。

日本人の思いやりは、“知らない誰か”に向く。

外国人の思いやりは、“目の前の誰か”に向く。

どちらも優しさには変わりないけれど、

そのベクトルの違いが、

街の綺麗さやトイレのあり方にまで表れている気がしました。

僕は“知らない誰か”に向く優しさが、とても好きです。

4.タイパから解放されました。

留学していたときに思いました。

やること、意外と少ないな」って。

パブに行って、バーに行って、友達と話して、また同じことの繰り返し。

最初のうちはそれが新鮮で楽しかったんですが、だんだん「これしかないのか」と感じるようになりました。

でも、周りの人たちはそれを“退屈”とは思っていなかったんです。

海を眺めたり、ベンチで座って喋ったり、特に何をするでもなく、ただその時間を楽しんでいました。

最初はそれが全然理解できませんでした。

「何もしてないのに、なんでそんなに穏やかなんだろう?」って。

日本にいた頃の自分を思い返すと、“暇”でいるのが苦手でした。

何もしていないと落ち着かなくて、すぐスマホを触ったり、SNSを開いたりして、

とにかく“空白”を埋めようとしていました。

でも、オーストラリアで過ごすうちに、何もしない時間が少しずつ心地よく感じるようになったんです。

太陽の下で、ただ座って、風を感じて、何も考えない時間。

それだけで、少しずつ頭の中が整理されていく感じがしました。

そこで気づいたのは、何もしない時間って、ただの「無駄な時間」じゃないということです。

むしろ、自分の気持ちを整理したり、「今、自分がどう感じてるか」をちゃんと見つめ直すために必要な時間でした。


5.えっ、愛国心あったんだ…

何気ない会話の中で、外国の友達の一人がこんな言葉を言いました。

「日本って便利だよね。でも、息苦しそう。

周りの外国人もこの言葉に頷き笑っていた。

正直、僕はその時ムカついた。

多分悪意はなかったんだと思う。

でも、僕の心の中でなんか引っかかった。

日本の“便利さ”は、

誰かが「働きすぎるほどに」頑張ってくれているから成り立っている。

終電まで働く人。

小さな仕事でも全力でやりきる人。

店員の笑顔、駅員の丁寧な案内。

全部、システムじゃなくて人の誠実さで回っている。

それを「息苦しい」と言われると、

「それがあるからこそ安心して暮らせるんだよ」と言いたくなる。

海外に出て感じたのは、

“日本の当たり前”がどれだけ特別かってことだった。

外食はどこも一定以上に美味しい。

トイレは清潔で、ウォシュレットがあって、

冬には便座があたたかい。

それらはすべて、

「次に使う人のことを思う」文化の上にできている。

でもその思いやりや誠実さが、

ときに人を苦しめることもある。

「ちゃんとしなきゃ」「迷惑をかけちゃいけない」

その意識が、

自分を追い込むプレッシャーにもなる。

便利さや優しさの裏には、

見えない努力と、静かな我慢がある。

だから僕は、

日本をただ褒めたいわけでも、

逆に批判したいわけでもありません。

この国の便利さや丁寧さは、

確かに人を疲れさせることもあるけど、

それと同じくらい“誰かを守っている優しさ”でもあると思うんです。

小さな気遣いを重ねてくれる人がいるから、

知らない誰かの一日が少しだけ気持ちよく終われる。

そういう“見えない努力の積み重ね”の上に、

日本の「安心」や「秩序」がある。

それを「息苦しい」と言われた瞬間、

僕は初めて自分の中に“愛国心”みたいな感情があることに気づきました。

今の世の中、

こういう話をするとすぐに「右翼だ」とか「保守だ」とか、

何かの立場に括られがちです。

でも僕にとってそれは政治の話じゃなくて、

**「自分が生まれた場所をちゃんと好きでいたい」**っていう、

ごくシンプルな感情です。

日本には不器用なところもたくさんあるけど、

その不器用さを“美しい”と思えるようになった。

海外に出て気づいたのは、

日本のすごさじゃなくて、

日本人の優しさの形”がどれだけ繊細で温かいかということ。

まとめ

正直、留学に行く前は「世界を見れば何かが変わる」と思っていました。

でも実際に行ってみて変わったのは、世界じゃなくて、自分の“見方”の方でした。

日本のご飯の美味しさも、

トイレの清潔さも、

人の優しさも、

全部「当たり前」だと思っていたことばかり。

それが、海外に出て初めて特別だと気づいた。

そして同時に、

日本の「頑張りすぎ」や「生きづらさ」も、

誰かの思いやりや誠実さから生まれているんだと知りました。

海外の人たちは明るくて自由で、

その生き方に憧れることもあったけど、

僕はやっぱり日本の“静かな優しさ”が好きです。

誰かに気づかれなくても、

ちゃんとやる人がいる。

それを恥ずかしいとか、息苦しいとは思いたくない。

留学で一番の学びは、

他の国を知ることで、自分の国をちゃんと見つめ直せたこと」でした。

だから僕にとっての留学は、

“海外を知る旅”じゃなくて、

日本を理解する旅”だったのかもしれません。

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