多分、みんなにとってお寺は
葬式の時に行く場所で、
死を連想する場所だと思う。
でも、僕にとっては違った。
お寺は
家の隣にある建物。
それくらいの感覚だった。
ただ、子供の頃
ずっと思っていたことがある。
もし本当に神様がいるなら、
なんで僕はこんなに苦しいんだろう。
なんで神様は
僕を救ってくれないんだろう。
そんなことを
よく考えていた。
宗教が何かを理解する前に
僕は死を知ってしまったからなのかもしれない。
理由はわからない。
でも、なんとなく思っていた。
宗教は
僕を救ってくれない。
辛いことがあっても
宗教に救われる人がいる。
それが僕には
少し羨ましかったのかもしれない。
でも、僕の前には
それはなかった。
辛い経験をしている僕を
救うものはなくて、
そこにあったのは
いつか死ぬという事実だけだった。
子供ながらに
少し冷めていたのかもしれない。
もしかしたら
偶像というものを
なんとなく理解していたのかもしれない。
表の顔と裏の顔。
本音と建前。
両方を見てしまった人間は
どっちを信じればいいんだろう。
当時の僕には
わからなかった。
でも今なら、
偶像を
弱さではなく
強さとして抱きしめられる気がする。
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