最近、猫動画ばかり見ている
最近、なぜかYouTubeで猫動画ばかり見ています。
別に猫を飼っているわけでもないし、昔から特別猫が好きだったわけでもありません。
でも、気づくと見てしまう。
多分、癒しを求めているのだと思います。
そして同じ時期に、自分はサウナにもかなりハマっていました。
頭が疲れた時。
考えすぎている時。
生活が少し散っている時。
気づくと、サウナへ行っている。
そんな中で、猫動画を見ていた時にふと思いました。
猫の行動と、人間のサウナでの行動って、少し似ているのかもしれない。
特に、猫がトイレの後に砂をカキカキする姿を見た時に、それを強く感じました。
猫のカキカキって意味あるの?
猫って、トイレの後に砂をカキカキします。
あれって外ならまだわかります。
匂いや痕跡を隠すことで、外敵から身を守る意味があるのかもしれません。
でも、家のトイレでもやるんです。
しかも、別に完全に隠れていない時もある。
壁をカキカキしていたり、空中を掻いていたりする時すらあります。
それでも、猫は真面目にやっている。
あれを見ると、少し面白い。
もしかしたら猫は、「ここは家だから外敵はいないし、もう隠さなくていい」とまでは理解していないのかもしれません。
つまり、「排泄の後は隠す」というパターンそのものが、本能として強く残っている。
だから意味を考えているというより、「そうしないと落ち着かない」感覚に近いのだと思います。
気持ち悪い。
落ち着かない。
なんか嫌。
その感覚が、猫を動かしているのかもしれません。
そして、ふと思いました。
人間も、同じことをしているのではないか、と。
人間も同じことをしている
例えば、サウナで座った椅子を水で流す行為。
もちろん、マナーとして大事です。
でも、あれって本当に「完全に合理的だから」やっているのでしょうか。
正直、少し水を流しただけで完璧に綺麗になるわけではないと思います。
それでも、多くの人は椅子を流す。
汗を流す。
痕跡を減らす。
次の人が使いやすいようにする。
多分そこには、「そのままだとなんとなく気持ち悪い」という感覚がある気がします。
そして、その感覚を、人間は「マナー」や「清潔感」という言葉で説明している。
でも根っこにあるのは、もっと感覚的なものなのかもしれません。
猫が砂をかけるのも、人間が椅子を流すのも、
「そうしないと落ち着かない」
という意味では、案外似ている気がしました。
「正しさ」も、不快感から生まれているのかもしれない
これは、現代のネット社会でも少し似ている気がします。
今の社会では、SNSやネットの影響力がかなり大きくなりました。
そして、「炎上」というものが日常的に起きています。
例えば、とあるYouTuberが不倫をして炎上したとします。
その時、人は、
- モラルがない
- かわいそう
- 常識がない
- 品がない
みたいな言葉で批判します。
もちろん、それらには社会的な意味もあると思います。
ただ、実際には、その夫婦の関係がそこまで悪化していない可能性もあります。
逆に、炎上によって仕事や収入が減ることで、関係が悪くなってしまう可能性すらある。
それでも、人は強く反応する。
多分そこには、「不快感」があるのだと思います。
気持ち悪い。
見たくない。
嫌だ。
その感覚が先にあって、その後に「モラル」や「マナー」という言葉で説明しているのかもしれません。
もちろん、だからといって何をしてもいいという話ではありません。
ただ、人間は思っている以上に、「理性だけ」で正しさを判断しているわけではない気がします。
そして、その感覚を社会用に翻訳したものが、マナーや常識なのかもしれません。
不快感と、どう付き合うのか
猫のカキカキを見ていると、
「いや、それ意味ある?」
って、少し俯瞰して見れます。
家の中なのに、必死に砂をかけている。
しかも、別に完全に隠れていない時もある。
それでも真面目にやっている姿を見ると、少し面白い。
でも、多分人間って、自分のことになるとそれができなくなる。
不快に感じた時。
ムカついた時。
イライラした時。
その感情に飲み込まれると、「今の感情に意味があるか」を考えにくくなる。
だからこそ、
「これって、本当に意味ある?」
と、一度だけ俯瞰してみる。
その感覚は、本能に飲み込まれすぎないために大事なのかもしれません。
もちろん、日常の全てを冷静に分析する必要はないと思います。
ただ、例えば、怒鳴りそうになった時。
その瞬間に、
- 怒ったところで現状は変わるのか
- 自分はなぜ怒っているのか
- 今の不快感はどこから来ているのか
を、一度だけ考えてみる。
アンガーマネジメントの「6秒ルール」も、少し近いのかもしれません。
感情を消すのではなく、一歩引いて見る。
人間って、その「少し俯瞰する力」があるからこそ、本能だけに支配されずに生きられるのかもしれません。
まとめ
猫のカキカキと、サウナで椅子を流す行動。
そして、マナーや正しさで動いているように見える人間社会。
色々見てきましたが、結局それを自分自身に当てはめるのは意外と難しいのだと思います。
不快に感じた時。
イライラした時。
感情に飲み込まれそうな時。
その瞬間に、
「これって、本当に意味ある?」
と、一歩引いて考える。
それだけでも、少し生きやすくなるのかもしれません。
ただ、逆にずっと意味ばかり考え続けると、今度は虚無的な生き方にもなってしまう気がします。
だから、本能や感情を完全に否定するのではなく、少し俯瞰しながら、いい感じに付き合っていく。
それくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
いい感じに生きられるといいですね。


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