近年、AIは急速な進化を遂げています。
特にイラスト分野では、人間が描いた絵と見分けがつかない作品も増えてきました。
一方で、AI絵師の炎上や、AIの絵への批判を目にすることも少なくありません。
では、その嫌悪感はどこから来るのでしょうか。
今回は、AI絵への嫌悪感について考えてみたいと思います。
AI絵はなぜ炎上するのか
AI絵はよく炎上します。
Xを見ていると、AI絵への批判や、AI絵師の炎上を目にすることも少なくありません。
しかし、よく見てみると少し不思議です。
AI絵が嫌われているのか。
AI絵師が嫌われているのか。
AIを使っていることを隠している人が嫌われているのか。
実は、この3つは似ているようで少し違う話です。
まずは、それぞれの嫌悪感について考えてみたいと思います。
AI絵への嫌悪感
まず、AI絵そのものに嫌悪感を抱く人がいます。
もちろん、AI絵を楽しんでいる人もいますし、AIで作られた作品が好きな人もいます。
しかし一方で、
「なんとなく気持ち悪い」
「AI絵は好きになれない」
という意見も少なくありません。
この嫌悪感の一部は「人が描いていない」ということにあるのではないかと思います。
例えば、同じ絵だったとしても、
10年間描き続けた人が描いた絵と、
AIが数秒で生成した絵では、
受け取る印象が変わる人もいるでしょう。
僕たちは作品だけを見ているようで、その作品が生まれるまでの過程も見ているのかもしれません。
AI絵師への嫌悪感
AI絵とは別に、AI絵師に嫌悪感を抱く人もいます。
これは絵そのものというより、作り手に対する嫌悪感に近い気がします。
例えば、
「AIで作っただけなのに絵師を名乗るのか」
「努力をしていないのに評価だけ得ているように見える」
といった意見を見かけることがあります。
AIで魅力的な作品を作るためには工夫や知識が必要です。
しかし、多くの人がイメージする「絵師」には、
長い練習期間や試行錯誤、技術の積み重ねといった物語が含まれています。
そのため、AIを使って作品を作る人に対して、
「同じ土俵ではないのではないか」
という違和感を抱く人がいるのかもしれません。
AI偽装への嫌悪感
AI偽装とは、AIで生成した作品であるにも関わらず、それを隠したり、手描き作品であるかのように見せたりすることです。
AI絵を嫌う人はいても、AIであることを明示している作品まで強く批判する人はそれほど多くありません。
一方で、AIを使っていることを隠した場合は大きな炎上につながることがあります。
では、なぜAI偽装はここまで強い嫌悪感を集めるのでしょうか。
次は、その理由について考えてみたいと思います。
AI偽装が嫌われる理由
ここまで見てきた中で、個人的に最も強い嫌悪感が向けられているのはAI偽装だと思います。
AI絵そのものを嫌う人もいます。
AI絵師に違和感を抱く人もいます。
しかし、それ以上に強い批判が集まるのは、AIを使っていることを隠した場合です。
では、なぜAI偽装はここまで嫌われるのでしょうか。
単にAIだからではなく、人間の価値観そのものと関係しているように思います。
人は嘘をつく人を嫌う
AI偽装が嫌われる理由の一つは、とても単純です。
人は嘘をつく人を嫌います。
これはAIに限った話ではありません。
学歴詐称。
経歴詐称。
ドーピング。
どれも問題になるのは、能力そのものではなく、その能力がどのように得られたのかを偽っているからです。
私たちは社会の中で、ある程度の信頼を前提に生きています。
だからこそ、その信頼を裏切る行為には強い嫌悪感を抱きます。
AI偽装も同じです。
問題なのはAIを使ったことではありません。
AIを使ったにも関わらず、それを隠したり、手描き作品であるかのように見せたりすることです。
そこに不誠実さを感じる人は少なくないでしょう。
整形、ステロイド問題との共通点
AI偽装を見ていると、整形やステロイドの問題を思い出します。
例えば整形そのものを否定する人は少なくなりました。
しかし、整形をしているにも関わらず、それを隠しながら「努力で綺麗になった」と語る人には違和感を抱く人もいます。
ステロイドも同じです。
ステロイドを使うこと自体ではなく、ナチュラルボディビルの大会で使用を隠して出場することが問題になります。
人が嫌悪感を抱くのは、結果そのものではありません。
その結果がどのように作られたのかを偽ることです。
AI偽装も少し似ています。
AIを使うことが問題なのではなく、AIを使ったという事実を隠しながら、手描き作品と同じ評価を得ようとすることに違和感を抱く人がいるのだと思います。
偽物の物語に価値を感じてしまう
では、なぜ人はそこまでAI偽装に嫌悪感を抱くのでしょうか。
それは、人が作品だけでなく、その作品の物語にも価値を感じているからだと思います。
僕たちは作品を見る時、無意識に背景も見ています。
どれだけ努力したのか。
どんな失敗をしたのか。
どれだけ時間を費やしたのか。
そういった過程も含めて価値を感じています。
だからこそ、その物語が偽物だったと分かった時に強い違和感を覚えます。
絵そのものが変わったわけではありません。
しかし、その絵に感じていた価値は大きく変わってしまいます。
AI偽装が嫌われるのは、作品を偽っているからではないのかもしれません。
その作品の背景にある物語を偽っているからなのかもしれません。
偽物の地図は人を迷わせる
そして、何より問題なのは、その作品に憧れを抱いてしまった時です。
人は優れた作品を見ると、
「自分もそうなりたい」
と思います。
だからこそ、作品そのものだけでなく、その人がどのようにそこへ辿り着いたのかも見ています。
しかし、その過程が偽物だった場合どうでしょうか。
例えば、整形をしているにも関わらず、
「努力だけで変わりました」
と言われれば、多くの人は同じように努力しようとします。
ステロイドを使用しているにも関わらず、
「才能がなくてもここまで筋肉が付きます」
と言われれば、自分の努力不足を疑う人もいるでしょう。
AI絵も同じです。
AIで生成した作品だと知らずに憧れ、その人の練習法や考え方を参考にしても、同じ場所には辿り着けないかもしれません。
問題なのは結果ではありません。
その結果に至るまでの道筋です。
人は作品を見ているようで、その背後にある地図も見ています。
だからこそ、その地図が偽物だったと分かった時、強い嫌悪感を抱くのかもしれません。
人は作品だけを見ているわけではない
AI絵への嫌悪感を考えていると、一つの疑問に行き着きます。
それは、人は本当に作品だけを見て価値を判断しているのかということです。
僕たちは作品そのものだけでなく、その背後にある物語にも価値を感じているように思います。
努力に価値を感じる
人は結果だけでなく、その結果に至るまでの過程にも価値を感じます。
スポーツでも、受験でも、仕事でもそうです。
苦労したこと。
失敗したこと。
諦めずに続けたこと。
そういった過程を知ると、同じ結果でも違って見えることがあります。
僕たちは成果そのものではなく、その背景にある努力にも価値を感じているのかもしれません。
成長に価値を感じる
人は成長にも価値を感じます。
例えば、好きな絵師の昔の作品と今の作品を見比べて、
「こんなに上手くなったのか」
と驚いた経験がある人もいるでしょう。
そこには単なる技術の向上だけでなく、
積み重ねてきた時間や挑戦の記録があります。
だから僕たちは作品だけでなく、その人の成長そのものに感動することがあります。
完成した一枚の絵の中に、その人が歩んできた時間を見ているのかもしれません。
僕たちは絵を見ているのか、人を見ているのか
ここまで考えると、一つの疑問が浮かびます。
僕たちは本当に絵を見ているのでしょうか。
もし絵そのものだけを見ているのであれば、誰が描いたかは関係ないはずです。
しかし実際には、
作者の努力。
成長の過程。
その作品に至るまでの物語。
そういったものを知ることで、作品の見え方は大きく変わります。
僕たちは作品だけでなく、その背後にいる人間も見ているのかもしれません。
そして、それこそがAI絵への嫌悪感を考える上で重要な視点なのだと思います。
AI絵は価値を破壊するのか
ここまで、僕たちが作品だけでなく、その背景にある努力や物語にも価値を感じていることを見てきました。
では、AIによって大量に絵が作られるようになった時、その価値はどうなるのでしょうか。
実際にAIの登場によって、
「絵の価値が下がる」
「イラストレーターの仕事がなくなる」
といった声も見かけます。
もちろん、すべてがそうなるとは限りません。
しかし、AIが今までの価値観を揺さぶっているのは事実だと思います。
ここでは、AIが価値に与える影響について考えてみたいと思います。
希少性が失われる
価値は希少性によって決まることがあります。
例えば、水は生きるために必要ですが、普段は簡単に手に入るため高い価値は付きません。
逆に、ダイヤモンドは生活に必須ではありませんが、希少だからこそ高い価値が付きます。
絵も同じです。
今までは、高い技術を持った人だけが描ける絵がありました。
しかし、AIによって誰でも短時間で高品質な絵を作れるようになりました。
その結果、これまで希少だったものが大量に供給されるようになります。
もちろん、絵そのものが消えるわけではありません。
しかし、同じような作品が大量に生まれることで、一つ一つの価値は薄れていくかもしれません。
AIによって価値が失われるというより、希少性が失われることで価値の感じ方が変化しているのかもしれません。
イラストレーターの仕事は減るのか
AIによって一部の仕事は置き換わるかもしれません。
特に「一定品質のイラストを安く大量に作る」という分野では、AIは強力です。
一方で、依頼者の意図を汲み取り、独自の世界観を作る仕事は残り続けるでしょう。
仕事がなくなるというより、求められる能力が変化していくのかもしれません。
独創性は学習されてしまう
AIによって最も影響を受けるのは、独創性かもしれません。
人間は時々、それまで誰も思いつかなかった発想を生み出します。
新しい絵柄。
新しい表現。
新しい価値観。
そういったものは、最初はその人だけのものです。
しかし、その独創性が評価され、多くの人に広がると、やがて当たり前になっていきます。
AIは、その過程をさらに加速させるかもしれません。
誰かが生み出した独創性も、学習データとして取り込まれれば、いずれ誰でも再現できるものになります。
もちろん、新しい表現を生み出す人がいなくなるわけではありません。
むしろAIによって、新しい発想が生まれる機会は増えるかもしれません。
ただ、一つの独創性が特別でいられる時間は短くなるでしょう。
昨日まで唯一無二だったものが、明日には誰でも再現できるものになるかもしれません。
そう考えると、AIが価値を破壊しているというよりも、価値の寿命を短くしているのかもしれません。
AIは創作を終わらせるのか
AIによって創作がなくなる。
そんな意見を目にすることがあります。
しかし、個人的には創作そのものが消えるとは思いません。
人には表現したいものがあります。
誰かに伝えたいことがあります。
それはAIが登場しても変わらないでしょう。
ただ、創作の形は変わるかもしれません。
そして、その変化によって失われるものもあれば、新しく生まれるものもあるのかもしれません。
これからの時代と創作
AIによって創作する人が減るとは限りません。
むしろ増える可能性すらあります。
今まで絵を描きたくても描けなかった人。
頭の中にあるイメージを形にできなかった人。
そういった人たちも作品を生み出せるようになるからです。
ある意味では、AIは創作の敷居を大きく下げたとも言えるでしょう。
また、既存の絵師にとってもAIは新しい道具になるかもしれません。
構図の検討やアイデア出し、背景制作など、今まで時間がかかっていた作業を補助してくれる可能性があります。
その結果、表現の幅がさらに広がるかもしれません。
一方で、AIを使いこなす人と使わない人で差が生まれる可能性もあります。
今は創作の転換期なのかもしれません。
熱量は失われるのか
正直、これは分かりません。
AIによって絵の価値が下がると感じる人もいるでしょう。
努力や技術に価値を感じていた人ほど、そう感じるかもしれません。
その結果、
「頑張って描く意味がない」
と感じる人が増えれば、創作への熱量も失われていく可能性があります。
しかし逆に、AIと人間の技術が組み合わさることで、新しい表現や新しい価値が生まれる可能性もあります。
今まで存在しなかった熱量が生まれるかもしれません。
熱量が失われるのか。
それとも新しい熱量が生まれるのか。
今はまだ、その途中にいるのだと思います。
コミュニティが文化を支えている
作品の価値は、作品だけで決まるわけではありません。
その作品を好きな人がいて、
語る人がいて、
広める人がいて、
時には二次創作をする人もいます。
そうした人たちが集まることでコミュニティが生まれます。
そして、そのコミュニティが作品に意味を与えています。
例えば、どれだけ素晴らしい作品があったとしても、誰も見ず、誰も語らなければ、その作品は存在しないのと変わらないかもしれません。
逆に、技術的には未熟な作品であっても、多くの人が語り、愛し続ければ文化になります。
結局は人が先で、後から文化があります。
だから僕は、AIによって作品が作られることそのものよりも、その作品を支えるコミュニティがどう変化するのかの方が気になります。
価値は作品の中にあるのではなく、人と人との間に生まれるものなのかもしれません。
AI時代に忘れたくないこと
AI絵の話から随分遠くまで来てしまいました。
しかし、この記事を書いていて感じたのは、AI絵への嫌悪感も結局は「僕たちは何に価値を感じているのか」という問いに繋がっていたということです。
AIはこれからも発展していくでしょう。
それを止めることはできません。
だからこそ、AI時代だからこそ忘れたくないことについて考えてみたいと思います。
価値は人が与える
この記事を書いていて改めて感じたのは、価値は作品そのものの中に存在しているわけではないということです。
同じ作品を見ても、
感動する人もいれば、
何も感じない人もいます。
同じ絵だったとしても、
誰が描いたのか。
どのように描いたのか。
そこにどんな物語があるのか。
それによって価値は大きく変わります。
AI絵への嫌悪感も、AIそのものへの嫌悪感ではないのかもしれません。
僕たちは無意識のうちに、作品だけでなく、その背景にある努力や成長、物語にも価値を感じています。
だからこそ、AIによってその価値の感じ方が揺らぐ時、違和感を覚えるのだと思います。
価値は作品の中にあるのではありません。
価値を与えているのは、いつだって人間なのだと思います。
文化は語られることで生き続ける
価値は人が与えます。
そして、多くの人が同じものに価値を感じた時、それは文化になります。
作品を好きになる人がいる。
語る人がいる。
考察する人がいる。
二次創作をする人がいる。
そうして少しずつ文化は育っていきます。
逆に言えば、どれだけ素晴らしい作品だったとしても、誰も語らなくなれば、その価値は少しずつ失われていきます。
私は、
「神を殺す方法は忘れること」
という言葉が好きです。
文化も同じだと思っています。
作品そのものが消えるよりも先に、人々の記憶や関心から消えていく。
その時、本当の意味で文化は終わるのかもしれません。
だから文化を守るということは、作品を保存することだけではありません。
価値を感じ続けること。
語り続けること。
それもまた文化を支える一つの形なのだと思います。
文化も変わり続ける
ここまで書いておいて矛盾するようですが、文化は変わり続けるものでもあります。
海外からの参入も増えるでしょう。
AIも発展していくでしょう。
そして、アニメや漫画、イラストの作られ方も少しずつ変わっていくのかもしれません。
それは文化の変化として、ある意味仕方のないことなのだと思います。
仏教には「諸行無常」という言葉があります。
すべてのものは変化し続けるという考え方です。
文化も例外ではありません。
どれだけ素晴らしい文化であっても、永遠に同じ形のまま残り続けることはできません。
だから私は、AIの発展そのものを否定したいわけではありません。
ただ、僕は今のオタク文化が好きです。
アニメが好きです。
漫画が好きです。
イラストが好きです。
そして何より、その作品を愛し、語り、支えている人たちが好きです。
AI絵師の話から随分遠くまで来てしまいました。
それでも、この記事を書いていて感じたのは、AIへの違和感の正体は技術そのものではないのかもしれないということです。
僕たちが価値を感じていたもの。
憧れていたもの。
大切にしていたもの。
そういったものが、いつか忘れられてしまうことへの不安なのかもしれません。
だから私は、変化を受け入れながらも、自分が価値を感じていたものを忘れないでいたいと思います。
文化は変わる。
それでも、今この時代の文化を好きだったという事実は消えません。
だからこそ僕は、日本のオタク文化を大切にしていきたいと思っています。
AIはこれからも発展していくでしょう。
それでも、僕たちが何に価値を感じるのかは、最後まで人間が決めるのだと思います。

